金魚が死んだ。
近所の縁日で金魚すくいをして、その翌日には死んでしまったけど、チビが知ると悲しがるだろうと、わざわざ似た種類の和金をペアで購入したもの。
いつの間にか色味が抜けて、片方が赤、もう片方が白でおめでたい紅白コンビになって二年。
特に赤は何度も白点病を発症し、その都度持ち直した粘り強い子だったが、今回は尾腐れ病から一気に病状が悪化し、昼には水槽の底で横たわったまま動かなくなっていた。
残されたもう白も目が充血して病状はあまり良くないのだけど、それでも相棒の死はわかったようで、横たわる赤のそばから離れようとせず、処分のために水槽から取り出すとその後狂ったように水槽中を泳ぎまわる姿がなんとも痛ましい。
別に宗教は持ち合わせてないけど、夕食前に家族全員で天国に行った赤のためにお祈り。
明日、埋葬。
インターネットの大海の、ほんの端っこにまるでインクの一滴。
大波に翻弄される航海の、つれづれに思いつつくままペンを走らせ・・・
まだ大したものはありませんが、よろしかったらのぞいてって下さい。
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2012年4月29日日曜日
2012年4月27日金曜日
ココログからBloggerに移転を試みる
長年使い続けていたニフティについて、解約の方向で色々と検討。
もともと旧ニフティサーブのFSFフォーラムに参加するために取ったアカウントで、ニフティサーブ自体が空中分解した今となってはほとんど継続の意味合いがなかった。それでもまあ自宅のネット回線のプロバイダとか、ブログの置き場として細々使ってはいたのだけど、いろいろ思うところあってついにとりかかることにした。
まず、一番重たいのがブログの引越。他人には無意味な内容でも個人の記録としてはそこそこ大事なものなので継続したい。ところが、ココログはブログの文章部分についてはエキスポートの機能があるのだけど、画像については全く考慮されていない。
仕方ないので一枚一枚手作業でPCに落とす。100枚近くあって正直嫌になった。
一方で文章については、このサイトを参考に、コメントも含めてさっくり移転。とりあえず、古い記事に埋め込まれている画像のリンクをどう修正したものかと思案中。やっぱり手作業しかないかな。
もともと旧ニフティサーブのFSFフォーラムに参加するために取ったアカウントで、ニフティサーブ自体が空中分解した今となってはほとんど継続の意味合いがなかった。それでもまあ自宅のネット回線のプロバイダとか、ブログの置き場として細々使ってはいたのだけど、いろいろ思うところあってついにとりかかることにした。
まず、一番重たいのがブログの引越。他人には無意味な内容でも個人の記録としてはそこそこ大事なものなので継続したい。ところが、ココログはブログの文章部分についてはエキスポートの機能があるのだけど、画像については全く考慮されていない。
仕方ないので一枚一枚手作業でPCに落とす。100枚近くあって正直嫌になった。
一方で文章については、このサイトを参考に、コメントも含めてさっくり移転。とりあえず、古い記事に埋め込まれている画像のリンクをどう修正したものかと思案中。やっぱり手作業しかないかな。
2012年4月20日金曜日
80年前の映像に残された日食映像から撮影日を特定
某放送局から仕事場へ、およそ80年前の8ミリフィルムに残された日食の映像から、その撮影日時を特定して欲しいと依頼有り。
ともかく見せてくださいという話で持ち込まれた映像を確認すると、肝心の太陽映像は輪郭がぼやけていてそれだけでは特定が難しい。
だが、インサートカットに日食を見上げている割烹着姿の女性達の姿があった。白い割烹着を腕まくりし、少なくとも真冬ではなさそうである。
さらに、女性の顔の傾きから、最低でも30度以上、イメージ的には40度から45度くらい見上げているように見える。
そして、次のインサートカットでは手水鉢の水面に映った太陽を撮影している。
手水鉢が真円だとすると、円の潰れ具合から45度くらい斜め上から見下ろしている事になる。つまり、太陽は水面へおよそ45度で入射していることになり、これで日食時の太陽高度がほぼ確定できた。
次に、遺族の話から、撮影者の没年は1941年である事がわかった。
8ミリフィルムは日本では1932年から一般に市販されたという事なので、1932年から1941年までの間に新潟地方で観測可能な部分日食をリストアップしてみると合計5回であることが判明。
この中から、太陽高度が45度くらいで日食が起こるものを調べると、日食の発生時間が早朝だったり、食分が浅すぎたりするものばかりで、条件をすべて満足するものは一件しかなかった。これでほぼ間違いなく特定できる。
1936年6月19日。朝日映像が北海道で「黒い太陽」という記録映画と撮った同じ日に、市井のアマチュアカメラマンが新潟で日食映像を残していた事になる。
わずか数分の映像に残された断片的な証拠から、その日時を特定するという推理劇。本当にゾクゾクするエキサイティングな体験でした。
ともかく見せてくださいという話で持ち込まれた映像を確認すると、肝心の太陽映像は輪郭がぼやけていてそれだけでは特定が難しい。
だが、インサートカットに日食を見上げている割烹着姿の女性達の姿があった。白い割烹着を腕まくりし、少なくとも真冬ではなさそうである。
さらに、女性の顔の傾きから、最低でも30度以上、イメージ的には40度から45度くらい見上げているように見える。
そして、次のインサートカットでは手水鉢の水面に映った太陽を撮影している。
手水鉢が真円だとすると、円の潰れ具合から45度くらい斜め上から見下ろしている事になる。つまり、太陽は水面へおよそ45度で入射していることになり、これで日食時の太陽高度がほぼ確定できた。
次に、遺族の話から、撮影者の没年は1941年である事がわかった。
8ミリフィルムは日本では1932年から一般に市販されたという事なので、1932年から1941年までの間に新潟地方で観測可能な部分日食をリストアップしてみると合計5回であることが判明。
この中から、太陽高度が45度くらいで日食が起こるものを調べると、日食の発生時間が早朝だったり、食分が浅すぎたりするものばかりで、条件をすべて満足するものは一件しかなかった。これでほぼ間違いなく特定できる。
1936年6月19日。朝日映像が北海道で「黒い太陽」という記録映画と撮った同じ日に、市井のアマチュアカメラマンが新潟で日食映像を残していた事になる。
わずか数分の映像に残された断片的な証拠から、その日時を特定するという推理劇。本当にゾクゾクするエキサイティングな体験でした。
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